2008年5月15日木曜日

入院2

 火曜日に入院してから3日が経ちました。1日二回の点滴をしていますが今だ吐き気の症状は抜けないようです。いったいどうしてしまったのか、不安でたまりません。何よりも本人の辛さを考えると悲しく苦しい気持ちになります。
つい一ヶ月前まで編み物教室に行ったり、一緒に買い物に行ったり出来たのに...。

 しかし悲しんでばかりもいられません。
母を支える者としてしっかり現実を受け入れて出来る事は何でもして行きたいと思っています。
 
 入院した日は本当に辛そうで、母の心身は限界だったと思います。
病院へ行く寸前まで横になっていて、立ち上がるのも精一杯、やっと立ち上がったと思ったら吐き気が来てえづいてしまいます。
どうにか車に乗り込んで病院へ行きました。車いすに乗った母の痩せた背中を見ていると様々な思いがわき上がってきます。でも悲しみに浸っている余裕もありません。

 入院にあたっての身体検査で体重を計ったら37キロしかありませんでした。どうしてこんなに弱ってしまったのか。
どうして吐き気が抜けないのか。肝機能は数値的には正常でした。画像的な診断が待たれる所ですが今は検査自体も負担になるのでしばらくはペンディングです。

 入院前夜母と話しました。私は母にもっと生きていて欲しい、辛い治療はもうイヤだと思うし、私もそれは避けたいと思っている。
でももう一回一緒に旅行に行ったり美味しいものを食べたり、そんな日々を送りたいと思っている、と伝えました。
 すると母は「死ぬ事はもう怖くは無い。だから私が死んだらやっと楽になれたのだと思ってあまり悲しまないで欲しい。」と言いました。涙が出そうになりましたがぐっとこらえました。
 生きていて欲しい、でももう母には楽になって欲しい、この究極選択的ジレンマは私の人生にいったいどんな意味があるのでしょうか。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「生きていて欲しい、でも母には楽になって欲しい」このジレンマは私も母が肺腺癌Ⅳ期、このまま何もしなければ余命6か月との宣告を受けてからずっと感じています。私の母は宣告を受けた時から、「辛い思いをするくらいなら、早く死にたい。」とずっ言っています。最初の抗がん剤投与の時も効果はあったものの、副作用で一週間ほど全身のかゆみが止まらず嫌だということで他の抗がん剤に変えました。その時も「効果が出ているのだからかみゆぐらい。。。」と思いましたが、本人にとってはかゆみで寝れない日々が続くのは相当辛かったのでしょう、母の人生なのだからと思って母の意見を尊重することにしました。(言ってもどうせ聞かない母なので)次の抗がん剤は副作用はほとんどなかったものの効果もなく、症状は悪化してしまいました。「前の抗がん剤を続けさせていれば。。。」と後悔もしましたが、母が納得しているので、と自分に言い聞かせました。現在はタルセバを服用し始め約1か月になりますが、効果があり症状もかなり楽になっている様です。副作用も多少ありますが、まだそんなにひどくはありません。
母が弱気になって「早く死にたい。辛い思いはしたくない。」という言葉を口にする度、胸が張り裂けそうになり「そんなこと言わないで、一日でも長く生きていて!」と泣き叫びたくなりますが、「辛い思いはしたくない」いう母の気持ちも分かるので、その思いをぐっとこらえて、母に重荷にならない程度に「気持ちは分かるけど、私は一日でも長く生きてほしい」という気持ちを伝えています。
本当に最終的な究極選択をしなくてはいけなくなった時、私はどうするのでしょう。母の人生だと言い聞かせながら、母の望むようにすると思います。でもその反対で、本当にこれで良かったのかと思い続けるかもしれません。それが残されたものの使命だと思っています。

ちびちび さんのコメント...

ぽんさん
母がタルセバ治療中のちびちびです。
辛い状況お察しします・・・。

実は私の母も13日から入院することになりました。前日の夜中に激しい頭痛で失神してしまい、時々話がかみ合わなくなってしまったためです。先週まで一緒に近所のスーパーまで買い物に行っていたのに、今は、ベッドの上に座ることも難しくなっています。検査をしても脳の転移はますます小さくなっていて、全く原因がわかりません。
入院してからは1日中痛みで苦しんでいます。痛み止めもあまり効果がなく、見ていて本当につらいです。主治医からも「もう家には帰ることができないだろう。」といわれました。
でも、本人はあきらめていません。良くなることを信じ、退院してからの生活を考えています。(退院後に車椅子で生活できるバリアフリーの家を探そうかと相談されました。)

あまりの痛みと苦しみ方を見ていられず、緩和ケアの病院に入院して昏睡したとしても楽になってほしいと考えてしまうこともあります。でも本人が希望を持つのなら、その痛みと苦しみにつきあっていこうと思っています。

辛い症状がある患者や家族にとっては治療を止めるのも続けるのも、苦しい選択です。家族にできることって「何があっても本人の味方になって、辛いこと苦しいことに寄り添っていくこと」じゃないのかと最近思っています。

ぽん さんのコメント...

>匿名さん
同じですね、お気持ち痛いほど分かります。
お母様が弱気になるのは無理も無く、そこをどのように接していいのか、とても悩むと思います。

>でもその反対で、本当にこれで良かったのかと思い続けるかもしれません。それが残されたものの使命だと思っています。

重い言葉ですね。でも本当にそうなのだと私も思っています。どれだけ本人の思うようにしたとしても絶対に後悔は残るもので、もっと言えばもう既に色々な後悔は始まっています。
いずれにしても親から「死にたい」と言う言葉を聞く子どもの気持ちは同じ立場に立った事のある人しか分からないと思います。叫び出したいくらい悲しい気持ち、どうしてこんな事になってしまったのか、と考えても仕方の無い事ばかり考えて今を見失ってしまいます。
今具体的に現実的何が出来るのか、と考える事で悲しみから頭を冷やすようにしています。
お母様にタルセバが長く安全に使えますよう、祈っています。

>ちびちびさん
お母様、心配です。失神してしいまう程の痛みなんて想像出来ません。ちびちびさんも本当に大変な思いをされた事と思います。
今はお母様はどんな状況ですか?痛みが軽減されていると良いのですが。。。

痛みにしても(母の場合は)吐き気にしても逃れられない苦しさを味わっているのを見るのは本当に辛いです。こんなに近くにいるのに代わってあげる事も出来ない。
でもお母様は退院後の生活の希望を持っていらっしゃるのですね。素晴らしいと思います。
ガンの末期症状は母もそうですが原因不明の症状が出てくるように思います。反面計り知れない回復を遂げる話も聞きます。お互い希望を捨てずにいましょう。

>家族にできることって「何があっても本人の味方になって、辛いこと苦しいことに寄り添っていくこと」じゃないのかと最近思っています。

本当にそうですね。
母には友人達からのメッセージも「元気な人には私の気持ちは分からない」と言う様な事を言い、あまり励みにならないようです。「どうして私だけこんな病気に」という悔しさや強い孤独感があるように思います。
そこからも逃れたく死んでしまいたいのでは無いかと思うとたまらなくなる時があります。
母のその気持ちにも寄り添うようにしていきたいと思っています。
また以前頂いたコメントで目が覚め、私はきちんと母に生きていて欲しい、再び治療が開始出来るまでに元気になって欲しい、という旨を伝えられました。

お母様のご様子、またお知らせ下さいね。