2008年6月18日水曜日

近況報告2

 怒濤のような日々に全く更新出来ずにいました。
母は脳の治療を終えて、元々外来で治療を受けていた病院に転院しました。

 入院は出来たものの、そこでの若い病棟主治医にやはり退院を促され、どうして?いったいどうなっているんだ!!という怒りの中、母が深夜ポータブルトイレに自力で立とうとして転倒、頭を打って再び吐き気、加えて痴呆的症状が加わり、振り出し以下に戻ってしまうという事件がありました。

 せっかく抜けてきつつあった吐き気が戻り、記憶障害もひどく、転んだ衝撃で治療中の脳に何かが起きたのか、とても不安でした。東京の脳の主治医は「水頭症」の危険があると言い、父と二人でどこか逃げ腰の主治医を捕まえて脳のMRIを撮ってもらうよう交渉しました。
 そんな中急激に母は正気に戻り、吐き気は治まり、また食欲も戻ってきました。それ自体は良かったのですが、色々な事が起きていて、原因究明や自分のコントロールで必死です。

 がんに関してはしばらく無治療ゆえ、腫瘍自体の勢いが増して来たようで、血液の濃度が濃くなっているとの事、脳梗塞などの危険を避ける為に血液をさらさらにさせるワーファリンを東京の入院中に処方されました。すると今度はその薬が効き過ぎて肺原発からの出血が続き、呼吸が苦しくなり、貧血になりました。昨日は半日胸からの血を抜きました。2リットルくらいの血が抜けました。まだあるようですが、今は出血が止まっていると仮定して吸収されるのを待つのが良策だとの事。随時レントゲンで確認してくれているようです。

 そんな訳で父と私で真剣に主治医と向き合う中、主治医の態度も変わって来て、深夜でも変わった事があると電話をくれ、なるべく母が苦しまないように状態をキープしてくれようとする意志が見えてきました。当然もう転院の事は言いません。

 母は意識レベルが下がって来たというのでしょうか、受け答えや会話が噛み合ない事が多くなりました。昨日くらいから眠る時間がとても多くなり、色々な事がどうでも良くなって来たというか、拒否以外の事は全てなされるがままです。
 もう立ち上がったり歩いたりは無理だと思います。急坂を転げ落ちるように寝たきりになってしまいました。

 でも声も出辛いようですが会話は出来ます。
1分1秒でも母と一緒に過ごす時間を増やして、今この時を大切にしていきたいと思っています。
毎日必死ですが絶望はしていません。いつかは来ると思っていた時が来たまでです。でもまだ何が起きるか分かりませんね。もう一度旅行に連れて行ってあげたい、という気持ちをも続けていたいと思っています。



 

4 件のコメント:

sumire さんのコメント...

ぽんさん
急激な変化に驚いております。
この変化にお母様もショックのご様子が伺えますが、ぽんさん、お父様のお疲れも心配です。
「転院云々」って「何処へ?」て聞きたくなりますね。
意識も食欲もまた回復されたように また会話ももっと出来るようになりますよ!
お母様に緑溢れる自然を見せてあげたいですね、お互いに頑張りましょう。
お大事に!

匿名 さんのコメント...

ぽん様

初めまして。いつもブログを拝読しております。
私は四捨五入しなくても40歳、母もぽんサンのお母様と同じ歳位かと思われます。
一昨年母に肺がんが見つかり手術は成功したのですが、昨年末に一年と経たずにりんぱ節に再発し今年1月から四ヶ月間の辛い抗がん剤治療を受けました(シスプラチン+ナベルビン)。私は残念ながら五月末より海外転勤となってしまい、母のそばにいてあげられないのが気がかりです。うちの父もこの世代の男の宿命のようで仕事以外は全く何もできなく母も私を頼っていたとは思うのですが(妹と嫁に任せました・・)。ぽんサンが少しでも多くお母様のそばにいてあげられることが何よりだと思っております。私も自分の留学先であり、赴任先であるこの地を母に見せてあげることを目標に仕事に頑張っております。ぽんサンもお母様と絶対に旅行にいけると信じています、頑張ってくださいね。

ちびちび さんのコメント...

ぽんさん
大変な状況、お察しします。
転院を迫られている話ですが、私の母の場合もひどい目に会いました。

実は私の母が6月7日に他界しましたが、その亡くなる1週間前に入院中の病院から圧力をうけ退院させられました。
その主治医からの説明では、DPCと呼ばれる医療費包括制度(医療制度改革の一環です。)を採用しているので、母の場合(化学療法を行っているガン末期患者という意味だと思われます)は、2週間以上入院すると赤字になるという理由でした。
MRIやその他の検査についても赤字になるという理由から、頼んでもしてもらえませんでした。
寝たきりで症状も不安定で、何時間かおきにナースコールして痛み止めや嘔吐止めの点滴や注射などの処置をお願いしている状況下で、何度も病室にきて「家に帰られてはどうですか。」と最後はかなり威圧的に退院を迫ってきました。
「この状況のどこを見て帰れというのですか。家で看れる状況ではないでしょう!」と言っても「今まで『家で看れない』と言っていた患者さんに家に帰ってもらおうという趣旨の制度ですから。」とバッサリです。

幸い、治療に前向きでDPCを採用していない病院が見つかり、「最後まで一緒にがんばりましょう」と入院を受け入れて下さったので、最後の1週間は落ち着いて検査や治療を受けることができ、安らかに亡くなりました。
しかし、前の病院や新しい医療制度に憤りを感じます。
死に向っている人間に医療を受ける権利はないという制度でしょうか。
地域の訪問医の制度が充実していない状況で家に帰す事だけ徹底してしまうなんて。
日本に生まれた事を後悔したくなんかないのに、怒りや落胆をかくせません。

すいません、ぽんさんのブログなのに、熱くなってしまって。

しかし、お母様の病院も一度転院を迫ったということでしたらDPCを採用している病院かもしれません。そうでしたら、次の転院先を考えられておいた方が良いかもしれませんね。

ぽんさんのお母様は吐気や症状は治まって、食欲もあるとのことで、少し安心しました。
たくさんたくさんお話してください。
お母様の苦しい症状がもう出ないように、そしてご家族の温かい時間が長く長く続きますようにお祈りしています。

ぽん さんのコメント...

>sumireさん
本当に転院、どこへ?!って感じですよ。医者も人間でしょうに、どのような業務的義務を負っていても患者の状態を深く見て欲しいです。
 ちなみに今の母にはさすがに転院とは言わなくなりました。本当に母に新緑を感じてもらいたいです。
sumireさんにも薬の効果が長く安全に効いて欲しいです。

>hahanokoさん
はじめまして。コメントをありがとうございます。
海外転勤ですか...さぞご心配の事と思います。でもお母様からもらった命を、hahanokoさんなりに一生懸命生きるもの親孝行だと思います。
お父様はいざとなれば大丈夫だと思いますよ。私の父ももっとダメかと思っていましたが、父なりに頑張っています。
暖かいお言葉をありがとうございました。

>ちびちびさん
お母様がどうされているかずっと気になっていました。
そうですか。6月7日に。
心よりご冥福をお祈り致します。お辛いご心中、書き込みを頂いてありがとうございます。

それにしても言語道断、本当にひどい医療制度ですね。少しだけ調べてみました。患者の疾病に関して医療費の上限があるとか?
これを今政権を握っているやつら本人が病気になった時に同じ制度が適応されるのならまだ許せますが、決してそんな訳はありません。日本は役人、官僚、政治家は自分の保身中心を確保した上で制度をひいています。

 母は危険な状態ですのでさすがに主治医も転院を口にしなくなりました。むしろ随分良くやってくれるようになりました。真剣に向き合った甲斐がありました。

 お母様を迎えてくれる病院があった事、良かったですね。最後は安らかに迎えられたのですね。本当におつかれさまでした。

 今後の事は誰にも何もわからない域に来たと思っています。母と過ごす時間、そして自分自身のキープを一番にいたいと思います。