2009年8月22日土曜日

8月

 半ばを過ぎました。
8/15には実家へ行き、母のお盆を済ませました。
父とはあまり突っ込んだ会話をしませんが、灯籠を買い、いつも以上に花をお供えしていて父なりに母を迎える準備をしていたようです。

 今日テレビで偶然、ガンの最新治療をテーマにした番組を見ました。
アメリカのMDアンダーソンがんセンターが特集されていて、母の闘病中に掲示板でお世話になった上野医師もインタビューに登場しました。


 肺癌を克服したフィギュアスケートの井上怜奈さんが同センター内で医師や患者さんたちにインタビューを行っていました。
MDアンダーソンセンターではあらゆる最先端の医療機器を取り入れ、身体の各箇所に転移がある末期の患者さんにも前向きな治療を行い、延命に力を尽くしている様子が放映されていました。末期でも諦めず、前向きに,現実的な治療を行う医師たちの姿に多くの患者さんが勇気を得た事だと思います。


 母は2006年1月、肺癌が見つかった時には既に4期、末期でした。当初一年未満と言われていた余命を大きく裏切る二年半の闘病が出来た事はもしかしたら奇跡に近い事なのかも知れません。
 病気が分かる前に、母はもっと長く生きる事が当然と思っていた私にはあまりにも短い二年半でしたが、末期の肺癌を患った患者としては延命治療が成功したと言えるかも知れません。
 
 
 母は亡くなる数ヶ月前から鬱状態がひどくなり、その頃を思い出すと今でも涙が出ます。母の口から「こんなだったら早く死んでしまいたい」と何度も聞かされて、その度に心が張り裂けそうでした。
 MDアンダーソンセンターでは精神的ケアを前提とした治療も行われているようです。日本ではどうなのでしょうか。まだまだがん患者さんのメンタルケアは形式的なものなのでは無いか、と懸念します。
 

 
 井上さんは母が在命中に心の支えにしていた人の一人です。久しぶりに彼女の元気な姿を見てとても嬉しく思いました。そんな思いからあまり意味の無い記事を書きました。
 
 明日から月末にかけて怒濤のように仕事に追われそうです。昨年の今頃は母が亡くなって一ヶ月と少したち、ほんのちょっとだけ落ち着きを取り戻した頃でした。一年が経ち、仕事に追われている自分がいる事、時の流れはありがたいような、切ないような複雑な気分です。
 

9 件のコメント:

sumire さんのコメント...

ぽんさん、ご無沙汰いたしております。
季節が来る毎にその折のお母様との思い出が重なってお辛いことと存じます。
余命告知も新薬登場で大きく変わっていると聞きますが、先生も自信あってのことでは無さそうです。
この1年でも 親しくさせてもらってたブログ友を亡くしました。
いずれ、、と覚悟をしながら、、暑さに負けてだらだら過ごすsumireです。
どうぞお仕事も、ご自身のお体も大事になさってくださいませ。

ぽん さんのコメント...

>sumireさん
ご無沙汰しています。
sumireさんのブログは良く拝見させて頂いています。
お薬の効果が安定しているようで本当に良かったです。
いずれ、と言う意味では誰もが平等なのですね。。。
母と同じ年のsumireさん、どうか病気がおとなしくしてくれているように強く祈っています!!

智海 さんのコメント...

こんにちは。この前はコメントをありがとうございました。今、苦しみの中にいます。家人もいますので掃除、洗濯、食事の支度、買い物..普通に生活をしています。ご飯も食べられます。眠ることもできます。でも急に襲ってくる悲しみやどうにもならない感情にとても苦しんでいます。息ができなくなる程涙があふれます。身体をかきむしりたくなるくらい自身全部が辛いです。知り合いは意外に元気だねとか前を向いてあるかなきゃだめとか苦しむ母に生きてて欲しいと願う事はエゴだとか励ますつもりでしょう。たくさんの言葉を言ってくれます。でもその言葉ひとつにも苦しみます。頭がおかしくなりそうだと思う事も度々です。ぽんさん、時間が過ぎるのを待つしかないのでしょうか?これからもっともっと苦しみや悲しみは深くなるのでしょうか?新盆が終わったあたりから母がいないということが現実なってきて苦しいばかりです。ごめんなさい、こんな内容で。

ぽん さんのコメント...

>智海さん
こんにちは。またレスが遅くなってしまってごめんなさい。
日々普通に暮らしていながら、だからこそ不意に襲って来る深い悲しみ、とても良く分かります。とても辛いですよね。そして自分を思って言葉をかけてくれる周りの人たちをありがたく思いながらもそれら全てが的外れで自分の気持ちを救ってくれるものでは無い様子も痛いくらい分かります。

 私の場合ですが、同じような経験を持つ友人たちとは沢山話をしてとても救われた事がありました。大切な家族を失うと言う経験はとても想像で補えるような事では無いので、逆撫でされてしまうような周りの言葉は気持ちだけ受け取っていくしか無いと思います。智海さんを思ってくれている事は真実だと思いますので。


智海さんも書いているように時間が解決する部分はとても大きいと思います。私も母がいなくなって1年が経ち、ようやくとてつも無い孤独感や深い悲しみに陥る時間が減ってきました。
 反面母が生きていてくれたら、ともっと強く思う事も増えてきました。でもそれは今までの悲しみとはもっと違う形のようにとらえています。

 私の場合、ですが、母を看取る最後の数週間を思うと、いなくなってしまった今の方がまだ自分を保っていられるように感じています。
 そう思う事で少し救われたりもしています。

 うまく言えなくてごめんなさい。でも今の智海さんのお気持ち、痛いくらい分かります。

智海 さんのコメント...

ぽんさん、お言葉ありがとうございます。
気持ちがわかるといっていただいただけで心が軽くなります。後ろを振り向きつつにはなりますがちょっとずつ、一日ずつ、すごしていけたら..と思います。またお話させて下さい。どうかお身体には気をつけて。風邪などひかれませんように。

ゆうこ さんのコメント...

ぽんさん、
ご無沙汰しております。
お墓は名古屋にあるんですね?私は実は名古屋で育ったんですよ~。今は実家も引越してしまいましたが。

私は今、母のところに帰っています。現在は入院中です。
骨転移への照射を終え、一息つくまもなくMRIで新たな脳転移が見つかり、連休前に今年に入って2度目のガンマナイフをしました。1月にしたところは、消えていると思っていたらそうではなく、少し縮小した程度らしく、がっかりしています。
照射直後の8月にはCEAもほんの少し下がり喜んでいたのに、一昨日の検査ではぐっとあがってしまいました。
今までは正常範囲だったCYFRAまで今度は異常範囲になってしまい、母はとても落ち込んでいます。。。もちろん、私も…。
でも母の前では「落ち込むくらいだったら、検査結果を見んとけばいいのに」と強気に出てみましたが、「あんたは平気なんじゃね…」と逆に落ち込まれてしまう結果になりました。
何を言ってあげればよいのやらわかりません。最近は感情の起伏が激しいこともあり、すごく陽気なときと、落ち込んだり八つ当たりしたりです。分かってはいるのに、私も大人気ない態度をとってしまい喧嘩に…。
こちらに全く心に余裕がない時が多々あり、反省しています。
今日からアリムタ単剤での投与が始まりました。イレッサが全く効かなかったので、このアリムタが救世主になってくれればと祈るばかりです。
また、こちらのことばかり書いてしまいました。
また、更新されたら、必ず遊びに来ますね。ぽんさんが、このブログを継続される限り、お邪魔します!

ぽん さんのコメント...

>ゆうこさん
すっかりレスが遅くなってしまいました。お母様、どうしていらっしゃるかと、気にしていました。
入院されているとの事、その後いかがですか?

アリムタは期待出来る薬剤ですね。大きな効果がありますように。
数値的な変動に一喜一憂するのは私も同じでしたから痛いほど分かります。
またお母様との心のすれ違い、これもお互い別の形で余裕の無い状態ですから、私にもありました。
そんなつもりは無いのに、私も強い言葉を母に言ってしまった事があります。今でも悔やんでいます。

何を言ってあげて良いのか、本当にゆうこさんも悩まれていると思います。でも血の繋がった母娘ですから、色々な無理をおしてでもお母様の近くにいて支えてあげようと言うゆうこさんのお気持ちは伝わっているはずだと信じています。

何も出来ませんが、ゆうこさんとお母様が出来るだけ長く、充実した時間を共有出来る事を心から強く祈っています。

このブログも本当にランダムになって来ました。先日母の部屋から病気が発覚した直後の日記のようなものを見つけ、母の一番辛かった時期の心の叫びを読み、久しぶりに泣きました。
ぼやきのようになってしまいますが、書ける時に書きたいと思っています。

koma さんのコメント...

ぽんさん、初めまして。
私も先日母を肺ガンで亡くしました。
11年前のガンが3年前に再発、その後骨、肺へと転移しました。
色々肺ガンについて調べる間に、こちらへ辿りついた時にはぽんさんのお母様はすでにお亡くなりになられていましたが、私が40代、母が亡くなったのが67才と、とても他人事とは思えずに母の闘病中何度もこちらの日記を拝見しました。不安で一杯の日々の中、こちらの日記を読むことで何度も助けていただきました。
うちの母は最後の3ヶ月の最初の1ヶ月をホスピスで過ごし、その後退院し1ヶ月を自宅で過ごした頃は、長くは無いだろうけど今年いっぱいは持つのでは、来年のお正月も迎えられるのでは…という淡い期待を抱いていましたが、肺炎になり最後の1ヶ月をホスピスで過ごし、68才の誕生日を6日前にひかえながら亡くなりました。
その最後の1ヶ月間は、ぽんさんのお母様と似た様子だったので覚悟を決め、出来るだけ仕事を整理しほぼ毎日病院に行き、父と1日交替で泊まり込みました。そのおかげで、全てにおいて頼り切ってきた母に、父も私も少しは恩返しすることが出来たのでは…と今思えます。
もちろん沢山沢山後悔することもあるのですが、多少なりとも覚悟を決めることが出来、精一杯母の看病が出来たのは、ぽんさんとお母様の闘病記を読ませていただいたからだと思っています。
本当にありがとうございました。

ただ、やはり67才は早すぎて割り切れない思いが大きすぎ、忙しさの中普通に過ごしていても、お風呂で頭を洗っているような何でもない瞬間に止めようのない嗚咽が漏れてしまったりします。
でも、いつか時間が少しずつ癒してくれると信じて母の分まで元気に生きていこうと思っています。
こちらで同じような思いをされている方のコメントを読みながら同じ痛みを感じ辛くもあるのですが同時にその同じ痛みに励まされる思いもあります。
どうか母が…すべての娘や息子の亡くなった母達が天国で健康に笑って過ごしていることを願ってやみません。

ぽん さんのコメント...

>komaさん
初めまして。コメントをありがとうございました。このようなブログにまだ訪れて下さる方がいるなんて。場違いですが嬉しく思いました。

お母様は67才で旅立たれたのですね。
ホスピスでお父様と交代で最期の日々を過ごされた事など、私もとても他人事だと思えません。

>やはり67才は早すぎて割り切れない思いが大きすぎ、忙しさの中普通に過ごしていても、お風呂で頭を洗っているような何でもない瞬間に止めようのない嗚咽が漏れてしまったりします。

とても良く分かります。
本当に何気ない瞬間に私も母との思い出が甦り、もう取り戻せない日々に深い悲しみを覚えます。
同じような年回りの女性達の元気で老後を楽しんでいる姿などを見るのも辛い今日このごろです。

>いつか時間が少しずつ癒してくれると信じて母の分まで元気に生きていこうと思っています。

そうですね。私もそう思っています。
母からもらった命を精一杯生きる事しか無いと思っています。

komaさんのお母様も私の母も、もう病気で苦しい思いをする事は無く、今はきっとあちらの世界でゆったりと皆の事を見守っているに違い無い、と思う事で少し救われた気になったりもします。

コメントを本当にありがとうございました。